【都会でもお月参り】大阪市中心部 仁徳天皇を祀る最初の神社 戦災からも生き延びた御神木が素晴らしい 難波神社
グリコの看板で有名な大阪ミナミ、戎橋、その横を走る御堂筋を進行方向とは逆に北へ上がっていくと、心斎橋エリアの高級ブランドのビルが立ち並んでいます。
またそこを更に北に上がっていくと、御堂筋沿いに、大きな鳥居が見えてきます。
そこは問屋街のはずれ、有名高級外車販売店横にある、都会のオアシス、
調度訪ねたのが、令和元年改元日、お月参りも兼ねて行ってきました。
立派な門柱が立っています。
鳥居をくぐり抜けて行くと右側には社殿、そして左側には。。。
大きなくすの木がまず目に付きます
参道を抜けて手水舎に着き、そこから見たくすの木の姿、カメラに入りきらない程です
保存樹 くすのき
樹齢 約400年
高さ 11.0m
幹周り 3.2m
指定番号第1号
指定年月日昭和43年10月1日
御神木(ごしんぼく)
市内中心部最古の楠(くすのき)
難波神社の御神木である楠の大樹は、大阪市指定保存樹第一号となっています。
戦災により火傷を負いながらも、逞しく生き残る姿に、「力をいただける」と、この木に触れられる人がたくさんいらっしゃいます。
あと数日で、こどもの日なので、境内の中心地に、鯉のぼりが飾られていました!そしてその前には花菖蒲も育てられています
手水舎から眺める本堂
階段を上がって、お賽銭箱の後ろにこの難波神社についてかかれたものがありました
難波神社は。。。
仁徳天皇を祀る最初の神社
5世紀の初め、反正天皇(はんぜいてんのう)が河内国丹比柴籬宮(かわちたじひしはがきのみや)(現松原市上田)に還元を行った際、同様に父の仁徳天皇をしのんで創設されました。ものは上本町にあり、8丁4方(ほぼ大阪城の堀の内の広さ)の広い境内を有する大阪屈指の大社でした。「文祥発の地」ともされています。
難波神社のお祭りについてと時期
菖蒲神事(あやめしんじ)(あやめ祭) 6月
御神紋に描かれる花菖蒲のまつり
難波神社の御神紋であるアヤメ。当社が上本町から現在地に移転したとき、老婆が毎年、端午の節句に堀江に生える花菖蒲をお供えられた故事により御神紋になったと伝えられています。昔は、アヤメもハナショウブも厳密には区別していないようです。
毎年6月8日には、境内で育った花菖蒲を御神前に御供えする、珍しい”花蒲神事”が行われます。祭典中には、菖蒲を刈り取る所作のある神楽「菖蒲刈り」が二人の巫女により舞われます。
火焚祭(ひたきさい) 11月
願いをこめた火焚串
11月15日に開催される博労稲荷神社(ばくろういなりじんじゃ)の伝統的な神事
願い事を書いた火焚串、いわゆる護摩木(ごまき)に住所、氏名、願い事を書いて焚き上げます。火の霊力で罪や穢れ(けがれ)をお祓いし、願意成就、除災招福を祈祷します。
祭典終了後には餅まきがあり、例年たくさんの人が餅をもらいに境内へ集めます。
氷室際(ひむろさい) 7月
氷をお供えする、ちょっとめずらしい夏まつり
仁徳天皇の御代のある夏、御兄君が大和のつげ(奈良・都祁(つげ)村)で狩りの途中、野原に氷を貯蔵する氷室を見かけ、その氷を天皇に献上したところ大層お慶びになり、以降この氷室の技術を広められたとの故地事より、氷を奉納します。
夕方から参拝者に授与される、かちわち氷を食べると夏負けしないと云われています。
夜には奉納太鼓演奏があり、毎年20日、21日間賑わっています。
本殿以外に祀られているその他の神社
本殿向かって左側(西側)に有るのが
博労稲荷神社(ばくろういなりじんじゃ)
本殿前で説明されていた火焚祭(ひたきさい)に書いてあった、博労稲荷神社はこちらです
そして、鳥居を挟んで隣にあるのが
金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)
金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)について、書かれています。
御祭神 大物主(おおものぬし)大神
大物主の神は、大國主の神の和魂(にぎえたま)(穏やかな働きの霊魂)でありますが、バラモン教の神である金比羅(こんぴら)の神と習合し、四國讃岐に祀られ金比羅宮となった
はじめは航海安全の神とされてたが、その後、農業や商業の神としてもご利益(ごりやく)とされ「こんぴら信仰」として全国的に広まった
沢山の絵馬がかけられています
南側の門から北に向かって南東角にも
こちらには沢山の神様が祀られています
水波能女大神さま
春日四柱大神さま
猿田彦大神さま
迦具土大神さま
豊受姫大神さま
天照皇大神さま
應神天皇
豊臣秀吉公
菅原道真公
楠 正成公
徳川家康公
合わせて11の名が連なっておりました
そして、その左横(北側)には、難波神社と文楽の関係について書かれています。
植村文楽軒が当社境内に人形浄るりの小屋を開いたのは、文化8年(1811年)のことでその後一時移転、安政3年(1856年)再び当地に復帰した頃から「文楽軒の芝居」と呼ばれるようになった。
明治5年三世文楽軒の時に新開地の九条に移ったが、17年に三味線の二代目富沢団平を擁する「彦六座」が当社北門に開業して人気を集めたため、文楽軒も近くの御霊神社境内に小屋を移して対抗した
「彦六座」は明治31年団平が舞台で倒れたため解散、小屋は「稲荷座」としていろいろな興行に利用されたが、同年45年取りこわされた。
周りにある石碑たち
文字が読めませんでした。。。
こちらにも
寄贈されたのでしょう
そして今回気が着いたんですが、この難波神社には、鳥居が四方にあります。四方どの方向からも(普段は1箇所は閉じられている)境内に入る事ができます
一つ目は、先程入ってきた、御堂筋沿いの東側にある大きな鳥居
そして、次は、
2つ目の鳥居
こちらは境内の南側、道を挟んで、フェラーリのお店がありました
3つ目の鳥居
大きな木の左隣に鳥居があります。こちらからも入れます。境内の西側です
会館と本殿の間を入って、北側に行くと。。。
4つ目の鳥居
こちらにも、鳥居があります。普段門は閉まっていますが、夏の氷室祭りの時は、こちらで太鼓の演奏があるので、開放されていました。
どこからでも、受け入れてくれる懐の深い境内です
〒541-0059
TEL:06-6251-8000
FAX:06-6251-5110
年中無休
受付時間:9時から18時
本殿:
神前結婚式・初宮詣・車・厄払い・病気平癒・工事安全祈願・開業商売繁盛等各種祈祷
出張:
地鎮祭・上棟・定礎・竣工祭等各種出祭
会館:
会議研修会等の貸室
お近くにお寄りの際の参考になればと嬉しいです